性格診断
日本の大学生はテストがようやく終わり絶賛冬休み中ということで、サークルに勤しんだり、帰省したり、ちょっと遠出してみたり、ユーチューブに一日潰し自己嫌悪に陥ったりしているのだろう。私は溢れんばかりのじゃぱにーずそうる、とやらを持ち合わせているのにも関わらず日本のイケイケ大学生にはなれなかったので、太平洋を挟んで反対側の米国でセカンドセメスターという俗にいう二学期を迎えている。
アメリカの大学は日本の大学と違い入学は毎年四月ではなく、セメスター毎に入学者がいる。(でもね、大体は九月入学だヨ)今セメは新しく日本人は入学してこなかったが、前のセメスターを休学していたひとが一人帰ってきたので私の気持ち的には一人増えたような感覚だ。もちろん日本人同士、空きコマが被ればいろいろ話したりもするし仲良くなろうといろいろと聞いてみたりするものだ。
まあそんなこんなでそんな中、今日ふと会話の中で「あこちゃんってさどんな人なの」という尋問を受けた。
しかしながら、これから関わっていくために私を知ろうとして投げかけられた素敵な質問に、心の底から、率直に
「いや自分でもぜんぜんまじで一ミリもわかんない」
と思ってしまった。一丁前にブログなんか開設しちゃっておいて、自己紹介もできないなんて言語化能力なさ過ぎて萎えちゃうわああああ
でも全然わかんないんだもーーん!!
私は自分が思ってる以上に自分の事を知らないし、知っている部分でさえも上手く言葉に出来ないのである。
そして、自分でも知らなかったが私は聞かれたことにうまく答えられなかったことを意外と引きずるタイプらしく寮に着くなり性格診断をしていた。
性格診断曰くではあるが私は、人にイライラしにくく、察しがよく、臨機応変であり、行動がすばやく、チャレンジ好きで、聴く力があり、周りに合わせがちでちょっとドライならしい。
果たしてこれはこれを読んでくれた私をよく知る人達はどう思うのだろうか。満場一致で超当たってんじゃん!とは私はならない気がする。わからないところではあるが。
とどのつまり、「あこちゃんてさ、どんな人なの」への返答としては明らかに不適切である。仮に、性格診断の内容がとても性格だったとしてもそんな気がする。
答えは明確で、自分が自分自身をよく知らないのに、自分についての質問に答えることによって作られた性格診断結果に信ぴょう性なんてあったもんじゃないし、自分は前向きです!!!なんて言ってるやつに限ってTwitterの裏垢を五個も六個も持ってたりするように、人の発言は基本的に自分が周りにこう見られたいという理想を反映していると私は思うからだ。
性格診断中にある、「人前で話したりすることが好きだ。かなりそう思う・そう思う・少しそう思う・あまりそう思わない・そう思う」なんていう質問で何が図れるだろうか。そんなことよりもずっとそのひとが書く文章や好きな音楽や好きな場所や本、どうしても許せないことや嫌いな人や映画、またそれらが好きなもしくは嫌いな理由のほうがよっぽどその人を図れる気がする。
去年、出会った文章のなかで一つとてもお気に入りのものがある。イモトが番組ディレクターと結婚した時に出した文章だ。
「時にはいい子ではいられない状況も多々あるなか、人間イモトアヤコのむき出しの様を石崎さんはいつもそばで面白がってくれました。その何とも言えない安心感のおかげなのか私自身、自分でさえも知らない自分に出会うことができ、またそんな自分がおかしく愛おしかったのです。」
これから性格診断なんてものはあてにせず、自分の知っている自分を言語化できるように精進しつつ、まだ私自身もしらない未知な自分に出会わせてくれるような人とかかわって生きたい。そして、そんなひとたちの新しい愛すべき一面を引き出せるようなそんな人になりたいなあと。
しばらくさぼっちゃった日記も今日わりと楽しかったからまたしばらく続くきがするな、誰か読んでくれたらうれしいな。
今日はちょっと真面目に書きすぎちゃった感あって恥ずかしいなてへぺろ~~
おやすみ、いいゆめみてね
♡